5月20日「どんな捧げ物を捧げていますか」ルーカス牧師

“彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。”イザヤ書53章11-12節)

エスさまは自分の魂を死に至るまで注ぎました。残っているものはありませんでした。人々の救いのために彼は自分の全てを注いて働きました。人々を心から愛した故です。ご自身をその事に集中させていかなければ全てを注ぐと言うことは出来ません。

私が主に何かを捧げるならば、使う必要の無い余った物を捧げるのではなく、犠牲を伴った物を捧げたいです。何故なら犠牲が無くては最良の物を捧げているとは言えません。大いなる犠牲を払うこと無く、人々の救いが過去に起きたことはありません。これまでも無く、またこれからもありません。

あなたは人々のために涙を流して祈るでしょうか?孤独を感じている人々や自殺する人、自分の家族が来てくれないので、お金を払って他の人に自分を訪ねてもらうように頼む老人。刑務所に居る受刑者の魂はどうですか?誰も私の魂のことを思ってくれ無かったという叫びが聖書にあります。自分を救うなら、他の人の救いを見ることが出来ません。しかし自分を全て犠牲として捧げるならば、他の人の救いを見ることが出来るのです。

拝島ユナイテッド・ペンテコステ教会
東京都昭島市緑町5-13-39
教会員 佐藤和森
教団のホームページ→ http://japanupc.org/