12月11日 「罪の赦しを得る」 ルーカス牧師

"主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。”(エレミヤ書29章11節)

 石巻市で行っている物資支援において、被災されたある家族と話をしました。この家族は震災の前にキリスト教の教えを全く聞いた事は無かったと言いました。震災後、多くの宗教団体やキリスト教のグループが物資支援に訪れました。そして、多くのグループは「あなた達はこうしなければいけない」と言い、その家族はプレッシャーを感じたそうです。しかし、「あなた達のグループは愛と親切をもって物資支援をして下さった。その事から聖書を読み始め、キリスト教の事を学び始めました。そこで知った事はキリスト教の教えはどんな大きな過ちをしてしまっても、どれ程悪い事をしてしまっても神の御前に近寄ってより頼み、悔い改めるならば、その犯した罪の赦しを得る事が出来る。仏教でも神教でもそのようには教えていません。ただキリスト教だけが、その事を教えています。それはとても素晴らしいと感じました。震災前にそのような事を聞いた事がありませんでした。その神は本当に素晴らしい神だと思います。」と話していました。

 聖書でパウロは、私達の良い時だけでなく、悪い時も、我侭な時も、神の言葉を拒んで歩んでいる時も、神は私達を愛して下さっていると言っています。それが故、私達のために自分自身を犠牲として捧げました。私達が罪の赦しを得る事が出来るように神は私達を愛して下さっています。以前、私達は暗闇の子でしたが、今は光の子として下さいました。神の聖霊の助けによって、私達が罪の支配の中を歩む事が無い様に、また自由となって神と共に歩む事が出来る様にして下さいました。それ程、神は私達を愛しています。神があなたについて思う時、どの様な思いがあるでしょうか?あなたに罰を与えたいと思うでしょうか?いいえ、あなたを正しい道に導きたいと思っています。神は私達を愛しています。以前、私達は肉の僕、罪の僕でした。しかし、神の恵みにより私達は自由となり、神の僕となる事が出来ます。それは神の望み、神の御心です。

 ある弟子がイエスさまの所へ行きました。ヨハネヤコブは雷の子と呼ばれ、初めは良いクリスチャンではありませんでした。彼らは直ぐに怒る性格でした。自分達の思い通りにならない時、その人々に対して、天から火を下さる様に神に願いました。しかし、イエス様は人を滅ぼすためではなく、人を救うために来られました。彼らの最初の行いを見るのであれば、救われるのは難しいと感じますが、ヨハネは聖書で1つの福音書、3つの手紙と黙示録を書きました。ヤコブは信仰のために殉教した最初の弟子となりました。彼らは一生懸命神に従いました。神の助けによって彼らは変わりました。

 私達はどんなに大きな罪を犯してしまっても、神に近寄る事が出来、神から罪の赦しを頂く事が出来ます。何故なら、私達の救いのために主はご自分を犠牲として捧げ、十字架に付かれたのですから。