12月18日 「イエス様が誕生された理由」 石橋兄

 ”主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。”(ヨハネ第一の手紙3章16節)

 今日はイエス様の誕生をお祝いする集いです。ここで質問をさせて頂きます。イエス様は何故お生まれになったのでしょうか?・・・それは私達の罪を赦すために十字架にかかって死なれましたが、3日後に甦りました。旧約聖書の創世記1章27節に人は神の形に模られて創造されたと言っています。創造されたこの時点には、人に罪はありませんでした。神は人アダムに、「エデンの園にあるどの木からも実をとって食べても良い。しかし、善悪を知る木からはとって食べてはいけない」と言いました。サタンであるヘビがエバを唆し、エバが人アダムに善悪を知る木の実を与え、アダムは食べてしまいました。実を食べた事がいけなかったのではありません。神の言葉に背いた事がいけなかったのです。これにより人に罪が入り、人類に罪の性質が起こりました。

 私の父は自分が罪人である事を理解していませんでした。人を傷つけたり、物を盗んだりして、警察のお世話になる事は何一つした事がありませんでした。しかし、神が言っている罪と私達が理解している罪は全く違います。あの人を傷つけよう、と思っても警察に逮捕される事はありません。その行為を実行しなければ罪とならないからです。しかし、神が言う罪は心に思う事が既に罪であると言っています。そして、父はプライドも神の目には罪である事を知り、悔い改めました。

 イエス様は言われました、「悔い改めよ、天国は近づいた」。この悔い改めるという意味は180度方向転回するという事です。これまで歩んでいた方向に完全に背を向ける事です。そして人が神と共に歩む事を神は望まれています。また、イエス様は言われました、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。唯一の神がこの世に来られました。その背後にあった思いは何だったのでしょう?それは愛でした。神はあなたを愛するが故に十字架にかかり、あなたの罪を赦すために、ご自分の血を流されたのでした。神であるイエス様は、私達の罪を赦すためにお生まれになったのです。