11月6日 「いにしえの道を歩む」 加村牧師

 ” 主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。”(エレミヤ書6章16節)

 良い道を私達が選んで歩むことは、安息を得ることであるとあります。いにしえの道は、当時のイスラエルの人々に、また今の私達に与えられている道です。良い道がどれであるか尋ね求めよと聖書は言っています。道は何処にでも出来ます。自分がしたいことを行ったり、多くの人が思うことが道となります。しかし聖書ではいにしえの道がどれであるか尋ね、魂が安息を得る道を求めよと言っています。

 日本を代表する山、富士山。この富士山は静岡県山梨県にまたがっています。そのため、静岡県側から登ることも出来るし、山梨県側から登ることも出来ます。そして富士山は静岡県から登っても、山梨県側から登っても行き着く頂上は共に同じ頂上です。

 しかし私達が目指している頂上、それは御国であり天国です。天国への道はいくつあるのでしょうか?天国に通じている道はひとつだけです。” イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。”(ヨハネによる福音書14章6節)。それがいにしえの道、イエス・キリストが私達に与えられた唯一の道です。それ以外に道はありません。よって私達は良い道を見つけ、その道を歩まなければいけません。箴言14章12節に”人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。”とあります。正しい道、命を得る道は自分で創るものではなく、すでに神が人に備え与えて下さっている唯一の道を見つけ歩むことなのです。