10月30日 「口を正しく使う」 横山牧師

また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。”(ヤコブの手紙 3章4-6節)
 
 昔の人々は天候によって海が荒れることが無いように、無事に旅行が出来る様に祈りました。そして現在私達の人生はサタンによって惑わされないように祈ります。また私達の舌から出る言葉によっても人生の歩みが異なっていくと聖書は教えています。
 
口を守る者はその命を守る、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。”(箴言13章3節)
口と舌とを守る者はその魂を守って、悩みにあわせない。”(箴言21章23節)
 
 私達の話す内容によって、命を得るか、滅びゆくかを選択する事も出来ると聖書は教えています。そして私達が虚しい事や疑いの言葉を語らず、神を礼拝し、正しく生きるのであれば多くの悩みから私達は救われます。また私達が嘘を言う事を神は憎まれます。聖書では隣人に対して真実を言う様に教えているからです。もともと私達は嘘を言う性質があります。馬鹿正直で損をする事があっても、私達は真実を語っていくべきです。嘘をついてその場を誤魔化しても、それは私達の思いに良い影響を与えません。また疑いの言葉も神の働きを妨げます。人が創造された時に神は人に「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と語り祝福しました。その後サタンが人に疑いを起こさせる言葉を語りました。「ほんとうに神が言われたのですか? サタンは私達が神に敵対する様に、信じない様に、神からの祝福を受けない様に私達の思いに疑いを語ってきます。しかし、私達は聖書の御言葉を用いる事によりそれらに打ち勝つ事が出来ます。
 
 今年の初め頃、94歳の祖母が倒れて寝たきりになりました。しかし、すっかり回復して祖母は今、大変元気です。祖母は「普通、歳を重ねるとどんどん悪くなるのに、私はどんどん良くなっていく。イエスさまによって日々良くされている」と言っていました。サタンは「あなたは大分歳をとっているのでもう無理だ。」という疑いを語ってきます。しかし神は良き方、癒し主、そして助け主です。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがないと聖書は言っています。それが故、私達は将来においても神が私達に対して良き事をして下さる事を知る事が出来ます。
 
わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」と。わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。(詩編39章1-2節)
 
 ダビデは多くの悪しき者に命を狙われました。しかし、それらの悪しき者の前でダビデは言い返したり、罵ったりする事はありませんでした。ダビデは言い返す事をせず、ただ沈黙をしました。これは知恵です。そして沈黙する事によって更に問題が大きくなる事を防ぐ事が出来ます。しかしただ沈黙しているだけでは十分ではありません。多くの国は強い武器を手に戦いましたが、イスラエルの人々は他の国々が使う事のない方法を用いました。それは主を賛美し、崇める戦法でした。これにより、イスラエルは大勝利を納めました。
 
わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。”(詩篇34章1節)
 
 私達に口が与えられているのは、人のうわさ話や悪口、不平不満を言うためでもなく、主を賛美するために与えらているのです。神がどれ程素晴らしい方であるのかを語るために、イエスさまの救いや福音、証をするために口が与えられているのです。
 
 私達は飼っている犬から学ぶ事があります。朝、散歩の時間になると、尻尾を大きく振り甘えてきます。その喜んでいる姿を見ると私は良い気持ちになり、直ぐに彼を散歩に連れて行こうと思います。同じ様に私達が心から喜んで神を賛美する時、神もとても喜んで下さっています。今日の賛美をしている兄姉達は心から主を喜んで賛美をしていました。あの様な姿を見る神も喜んでいないはずはありません。私は神が微笑んで共に喜んで下さっている事を強く信じます。神が与えて下さった口を用いて神を賛美する事は正しい利用方法なのです。
 
わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。”(詩篇34篇1-4節)
 
 ダビデは命を狙われていました。 彼は正気でしたが、狂ったふりをしてその場をやり過ごしました。どの様な時でもダビデは常に神を褒め称え、その口に賛美を携えました。彼はいつもその様にしたので、全ての恐れから神が彼を助けて下さったと言っています。賛美がもたらす祝福、力、守りは私達の理解をはるかに超えています。
私達の最も悲しい時に賛美していくと、そこに命が生まれる事を知っています。
 
 テキサス州のある牧師夫人が亡くなりなった時、教会において昇天式が行われました。 司式者はナタリエル・アーシャン牧師、ユナイテッド・ペンテコステ教会の監督でした。式も終わりに近づき、亡くなった姉妹の顔を皆で見ている時、アーシャン牧師は亡くなった姉妹の夫に「今、主に賛美しなさい」と言われました。その牧師がそれに従っていくと、葬儀に出席している人でまだ神の霊、聖霊を受けていない人々が次々と聖霊を受けていきました。
 
 私達の力では出来ません。しかし私達の内にある力が、復活したイエス・キリストの霊が今あなたの内に生きています。そしてイエス・キリストの霊が私達を導かれ天へと導いて下さいます。私の内に受けた神の御霊は、私達の肉体を栄光の体へと甦させて下さいます。
 
 主のもとには甦りの力があります。そしてこの力は、この世の全ての悩み、問題を解決する力があります。それが故、私達はもはや死に対して勝利しています。この様な約束は世界中をみてもどこにも与えられてはいません。この約束はあなたに与えられています。その時が来ると栄光の体が与えられて復活させられます。この様な約束と私が持っている問題を比較するならば、その問題は大した問題ではなくなります。
 
 ある人は「私は賛美はできません。こんなに苦しいのですから。」と言います。勿論、心の内に憂いがあるならば賛美は難しいでしょう。しかし、神は私の内にある憂い、恐れ、悩みを取り除かれます。神は私達と共に歩こう、恵もう、助けようとされています。私達が神に対して心を開くなら、神と共に歩いていくのなら、私達の心は新たにされます。
 
 創世記で出てくるヨセフは牢獄に入れられていました。ヨセフの両親は彼が死んでいると思っていたので、彼のために祈る事はありませんでした。無実であるにも関わらず、牢獄に入れられ、彼のために祈ってくれる人が誰もいない状況でした。しかしヨセフはただ神を求めました。すると神はその牢獄にいたヨセフと共に居られ、彼に恵みを施されました。そしてヨセフは勝利していったのです。
 
 今、私達は共に祈る事が出来る兄弟姉妹がいます。また、私達の内には神の霊である聖霊があります。その様な者が神に委ね、尋ね求める時、神が何もしないという事はありません。故に私達が戦う時に、ぎりぎり勝つ、やっとこさ勝つと聖書は言っていません。私達は勝利して、尚勝ち得て余りがあると聖書は言っています。神が私達の味方であるならば、誰が敵しようかと聖書は言っています。神は私の味方です。神はあなたの味方です。 
私には大きな悩みがありました。それも次から次へと起こりました。もし、私がイエスさまを知らなかったならば、自殺していたことでしょう。しかし、教会に来る時に、神の特別な安らぎを感じました。まだ解決されていない問題に関して、私は神に祈りました。神がこの問題を必ず解決して下さると強く信じました。私はその問題が解決するまで強く祈りました。今週私が祈っている時、これまで私の内にあった問題を見返していると、困難に思えた問題も全て解決している事を思い出しました。神は私が滅ぼされる事が無いように全ての問題を解決して下さいました。
 
 神は変わる事が無いお方です。神がまだ解決されていない問題があっても神を信頼して、「イエスさまが私を助けて下さる。だから、この問題は必ず解決していきます。」と口で語り、神を賛美していくのであれば、その問題は解決されていきます。私達の人生においてどの様な旅路になるのか、それは私達の口によって決まるのです。