3-2 族長の時代

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第3誰/チャート2

Ⅱ.族長の時代
1.アブラハム
 ノアの時代と同じように、神は地を見、契約を結ぷことの出来る人を見いだしました。この人は父テラと共にカルデヤのウルから来ていました。名をアプラムと言いました.主はアブラムに国を出て親族に別れを告げ、父の家を離れ、主が示す地に行くように言いました。主は言いました。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(創世記12:2-3)

 アブラムは主に従い、家(ハラン)を出ました。アブラム75才の時のことでした。彼は妻サライと甥のロトを連れ、カナンの地に向かいました。

 主が約束した時、アブラムには子供がいませんでした。約束にはアブラムを大いなる国民ヒすることも含まれていました。後にこれが成就したことが申命記4章6節、列王記上3章8-9節、ヨシュア記21章43-45節に記されています。

2.アラブの民族
 しかし、神が約束を守られたというなんら変化なしに時が過ぎ去りました。ついに、私達もよくそうであるように、アブラムとサライは自分たちでなんとかしようと決心しました。彼らにはハガルというエジプト人の召使がいました。サライはアブラムに言いました。「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞわたしのつかえめの所におはいりください。彼女によって私は子をもつことになるでしょう」(創世記16:2)アブラムは妻が言うとおりにしました。そしてイシマエルが生まれました。

 神の約束が成就するというなんら徴候が見られなかったので、神に逆らうようなことを行い、アプラムとサライは自分の家族と世に多くの悲しみをもたらしました。アラブ民族はイシマエルの子孫です。

3.アブラハムと神の契約
 アブラムが99才の時、主はアブラムに現れて言いました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み全き者であれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」(創世記17:1-2)主はまた彼に言いました。

 神はアブラムを多くの国民の父となすとの約束を繰り返しました。そしてアブラムをアブラハムと名付けました。(アブラムは『高き父』、アブラハムは『真実な者の父』という意味) 神はサライの名前もサラと変えました。(サライは『王女』、サラは『私の王女』という意味) それから神は契約のしるしを与ました。「男子はみな割礼を受けなければならない。これは、わたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう」(創世記17:10-11) アブラハムはその子イシマエルと家の者のうち全ての男子を連れて来て、全員に神の言葉に従ってその日割礼を施しました。

4.分裂
 アブラハムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いが起こりました。アブラハムもロトも共に裕福で多くの羊の群れ、牛・豚の群れ、天幕を持っていました。しかし土地は彼らを支えるのに十分ではありませんでした。

 アブラハムはロトに言いました。「わたしたちは身内の者です。わたしとあなたの間にも、わたしの牧者達とあなたの牧者達の間にも争いがないようにしましょう。全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが右に行けば、わたしは左に行きましょう」(創世記13:8-9)

a)ロトの選択
 アブラハムは甥に最初に選ばせるほどとても寛大な人でした。ロトはすみずみまで潤ったヨルダンの平地を見渡し、そちらを選びました。そしてアブラハムと別れ、東に移り天幕をソドムに向けて張りました。このことはロトの失敗でした。なぜならソドムの人々は悪く、主に対して甚だしい罪人だったからです。(創世記13:13)
罪の方へ向かうことはいつも危険なことです。

b)罪に対する裁き
 神はソドムとゴモラの積もり積もった悪を見ました。そこはアブラハムの甥ロトが家族と共に住んでいた所でした。主はアブラハムに現れ、町々を滅ぼすことを告げました。滅ぼされるソドムに身内の者が住んでいるので、その町を許してくれるようアブラハムは主に求めました。もし10人の正しい人が見つかればという条件で主は同意しました。しかし悲しいことに、ソドムとゴモラの悪は甚だしく、正しい人が10人さえもいませんでした。(創世記18)

c)あわれみの御使い
 御使いたちがロトに現れ、強いてロトと妻と、二人のまだ嫁いでない娘たちを町から連れ出しました。神がその日、ソドムにあわれみの御使いを送られたのです。アブラハムの祈りは町を救いませんでしたが、ロトを救いました。主に近く歩んでいた叔父によりロトは祝福を得ました。主はあわれみの御使いを送りました。この悪い町に移って来た悲しむべき過ちのゆえに、ロトはその代償を払わなけれぱなりませんでした。ロトはソドム人に嫁いだ娘たちの婿を残して行かなければなりませんでした。ロトの妻は(御使いの命令に背き)逃げる時に振り返り、塩の柱になりましたが、ロトと二人の娘は助かりました。ソドムとゴモラは、その甚だしい悪のために、神に火と硫黄で滅ぼされました。

 今日、ソドムとゴモラは地の表から全く拭い去られています。ある聖書研究者たちはその町々の破滅の繕果、死海ができたと信じています。ソドムとゴモラに対する神の裁きは、神の言葉を破る者への厳しい警告です。「また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとずる人々の見せしめとし~」(2ペテロ2:6)

 「キリストの教えは長い年月を穏やかに静かに土手の間を流れ、そして突然大激流となる川のようです。来るべき御国についてイエスが説教された言葉には、この洪水のような響きがあります。徳を告げ、成長と発展について穏やかに譬えを話された同じ目で、来るべき御国と大いなる恐るべき主の日のことを語られています」
裁きは来ます! 今は備えをする時なのです。

5.約束の子、イサク
 ついに神の定められた時にサラは身ごもり、男の子を産みました。アブラハムは子供をイサクと名付け、8才になった時に割礼を施しました。イサクが生まれた時、アブラハムは百才でした。神は約束を守りました。しかし神はアブラハムの信仰を試すことをまだ終えてはいませんでした。

a)アブラハムの信仰が試された
 神はアブラハムに言いました。「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭として棒なさい」(創世記22:2) どんな思いがアブラハムの脳裏をよぎったことでしょうか。神はアブラハムに息子を約束しました。その約束が成就するまでには何年も月日が経ちました。そして今、神はアブラハムにその息子を棒げよと命じたのです。しかし、アブラハムは神に対し強い信仰をもっている人でした。

 アブラハムは、イサクは神がくださった約束の子であることを知っていました。以前約束されたように、神はイサクを通して数えきれないほどの子孫を興されるだろう、とアブラハムは信じていました。たとえイサクを神に棒げたとしても、神は約束を守るために死から蘇らせることができると信じました。ヘブル11章17-19節にこのように書かれています。

 「信仰によって、アブラハムは試練を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。この子については、『イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう』と言われていたのであった。彼は、神が死人の中から人をよみがえらせるカがあると信じていたのである。だから彼は、言わば、イサクを生きかえして渡されたわけである」

b)アブラハムの従順
 「アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた」(創世記22:3) 彼らが旅をして3日目に、アブラハムは神がイサクを捧げるようにと命じられた場所を遥かに臨み見ました。アブラハムは召使いたちに、自分とイサクが礼拝して帰ってくるまで、そこに留まるように命じました。

 アブラハムの信仰は召使いたちに言った言葉からもよく分かります。「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」(創世記22:5)    成し遂げるよう命じられたことには神のご計画があるのだとアブラハムは信じました。

c)アブラハムの変わらない信仰
 アブラハムとイサクが目的地に向かって行くにつれ、イサクは燔祭の小羊がいないことに気づき尋ねました。「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」アブラハムは永遠に意味のある言葉で答えました。「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」(創世記22:7-8)

 アブラハムが「神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」と言ったことに注目して下さい。祭壇の用意をした後、アブラハムは息子を縛り、祭壇のたきぎの上に乗せました。そしてアブラハムは息子を殺そうと手を掲げました。その瞬間、主の使いが呼んで言いました。「アブラハムよ、アブラハムよ」「はい、ここにおります」と彼は答えました。御使いは言いました。「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために措しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記22:12)

 アブラハムの信仰は自分の愛する者によって試されました。そして、勝利をもって試みを切り抜けました。アブラハムは御使いの声を聞き、振り返ると、つのを藪にかけている一頭の雄羊を見つけました。神は燔祭の備えをして下さいました。アブラハムの言葉はのちにイエス・キリスト(肉において現れた神、1テモテ3:16)が、神の小羊として来られ、世の罪を除くこと(ヨハネ1:29)の預言でした。

 驚くべきものは信仰です!
昔、アメリカでは、人々は馬に乗り旅をし、雨で水かさが増した川を渡らなければなりませんでした。もし自分の回りで逆巻く水の流れを見たら、目が眩み馬の背から落ちて流されてしまうことでしょう。しかし、もし彼らが対岸の土手や木、大石や丘に目を向けているなら、無事に渡ることができます。人生の嵐の中でも、信仰は平穏と勝利をもたらすことを覚えておいて下さい。大切なのは私達の目を周囲の移り行くものに置くのではなく、堅い岩イエス・キリストに置くことです。

by カレブ