1-4 選択の力(その2)

2.人間の堕落
 創世記3章はアダムとエバが犯した大きな過ちとそのことによる悲しい結果を述べています。

a.エバが禁断の木に近づいた
 明らかに、エバの最初の過ちは善悪を知る木に近づいたことです。禁じられた木だと知っていたので、エバはその木を全く避け、離れているべきでした。ローマ13章14節はこう命じています。「肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」同様の警告がエペソ4章27節にあります。「また、悪魔に機会を与えてはいけない」罪深い環境や妥協した状況から離れているなら、多くの危険な誘惑は避けることができるでしょう。しかしエバは、それ以後多くの者がそうであるように、故意に白ら進んで誘惑される機会を作るという致命的な過ちをしました。

b.サタンも訪れた
 エデンの園の穏やかな環境にあって、人を誤らせることの出来るいい機会をずる賢いサタンは狙っていました。サタンは自分がうまくやれる唯一の方法は禁断の木だと知っていました。そこで創造物の中で最もずる賢い生き物であるヘビを用いました。サタンがエバに最初に何と言ったかに注意することはとても重要です。「園にあるどの木からも取って食べるなとほんとうに神が言われたのですか。」(創世記3:1) 最初にサタンが用いる攻撃方法は、いつも、神の言葉に疑問を持たせることです。とてもずる賢い巧妙な手口で、神の言葉を否定はしませんが、疑わせようと試みます。

c.サタンの誤りの解釈
 次に、神と悪魔の視点の違いをそれぞれの言葉一つずつを比較して見てみましょう。
 
 神は言いました。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない~」

 サタンは、神がこう言ったと言いました。「園にあるどの木からも取って食べるなと、~」

 このことは単に意味論の違い、または言葉の遊びに過ぎないように思われます。しかし神の言葉を語る場合には一語一語や言い回しが大切で、(全体の)見方が重要なのです。このことはどんなに強調しても、しすぎることはありません。再びここで言われていることを比較し、神は肯定的な視点で話していることに注意しましょう。神はアダムに一つの木以外は園のどの木からでも自由に食べてもよいと言いました。ヘビの視点は否定的でした。彼は全ての木から食べられるわけではないという事実に焦点を当てました。そうすることでサタンは、エバに祝福されているのだと思うより、恵まれていないと思わせようとしました。サクンは、エバに多くの持っているものにではなく、ほんの少しの持っていないものに注意を向けさせたかったのです。幾度も幾度も繰り返してサタンはこの手口を使います。

 今度は神が言わなかったことを、サタンは、神が言ったと主張しました。このことにいつも気をつけてください。サタンは神の言葉のように聞こえ、神が実際に言ったことにとても近い言葉を用いて、御言葉をよく知らない人々を騙すのです。

d.神の言葉に対するエバの知識不足
 このシナリオの次の悲しい階段は、エバは神がなんと言ったのかを良く知らなかったことです。そのことにみなさん驚くかも知れません。なぜなら、エバの言ったことも神が言ったことにとても近いように聞こえたからです。しかし次のことを覚えておかなけれぱなりません。神は御白分が言った言葉に、加えたり滅らしたりすることを禁じています。たった一言でも言葉を加えたり減らした場合には、言葉を汚してしまい、もはや神の言葉ではありません。

 エバがどのように神の言葉に加えたかを見てみましょう。「女はヘビにいった、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました。』」(創世記3:2、3)
もう一度、神が実際言ったことと比較してみましょう。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記2:16-17)

 エバは何を加えたのでしょうか。神は「これに触れるな」とは言っていません。ざっと見た限りではこのことは重要なことのように思われません。しかし私達が扱っているのは人の言葉ではなく、神の言葉なのです。神が言わなかった条件を加えることで、エバは神の命令を強調したように思われます。しかし、私達が神の言葉を強調することなどは出来ないことを心に留めるべきです。人が自分の条件を加えたとき、それはもはや神の言葉ではありません。主が言われたことに対し、エバは間違った引用をしました。そのためにエバはヘビに対し誘惑に抵抗する自分の能力の欠けている部分を現してしまいました。

 マタイ4章にあるイエスの誘惑を注意深く学ぶことはこの点をより一層明らかにします。サタンの誘惑に、効果的に抵抗する唯一の方法は神の言葉、純粋な神の言葉でサタンの試みに応じることです。イエスにしたように、サタンは神の言葉の自分勝手な解釈で、誘惑の力を強めようとします。サタンは詩篇91篇1節を曲げて引用しました。御言葉が肉体をとった方であるイエスは誤りを指摘し、罠にはまりませんでした。サタンは今日もなお、神が実際に何と言っているかを知らない人々をつまづかせています。

 偉大なイエスでさえもサタンの試みに会ったとすれば、私達も試みを避けることは出来ません。サタンが存在しないと決めつけるべきではありません。もし存在しないとしたら誰かがサタンの仕事をしていることになります。ある人が若者に尋ねられました。「あなたはもう悪魔なんか信じてないですよね」「いいや、信じているさ」年配の人は答えました。「そうじゃなければ、自分が悪魔だと信じなきゃならなくなるよ」

e.サタンは神の目的を攻撃する
 エバの誘惑の次の段階は、神の目的への攻塞でした。エバが神の言ったことを良く知らないことが分かったので、サタンは神の言葉と全く矛盾することを言いました。「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」(創世記3:4、5)

 サタンは、神が彼らを良いものから遠ざけておきたかったので木の実を食べることを禁じた、とエバに思わせようとしました。これはサタンが使う別の手口です。神に禁じられたことをすることは益になることで、神は、本当は一番良いものを与えたくはなく、無知と奴隷状態に置いておきたいのだと人々に思わせようとします。

f.アダムも不従順
 エバは霊的な死へと向かう次の悲しい階段へ進みました。エバは神の言葉に信頼するのではなく、白分の感覚や知識によって行動するようになりました。彼女にはその木が食べるに良く (見た目にも味にも)、賢くなるには好ましいように思えました。エバはその実を食べ、アダムにも与え、彼も食べました。全てをもっと悲劇的にしたのは、エバは騙されたのですが、アダムはそうでなかったということです。アダムは自分が何をしているのか良く分かっていました。(1テモテ2:14)

御言葉を調べると人の堕落について以下の事実を見出だします。

ローマ5:12 「~ひとりの人によって、罪がこの世にはいり~」
ローマ5:12 「~罪によって死がはいってきたように~死が全人類にはいり込んだのである」
ローマ5:14 「~アダムからモーセまでの間においても、~死の支配を免れなかった」
ローマ5:17 「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、~」
ローマ5:18 「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての入が罪に定められたように、~」
ローマ5:19 「すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、~」

 実を食べた後で彼らの目が開けました。彼らは自分たちが裸であることが分かったので、いちじくの葉を綴り合わせて作った前掛けで覆おうとしました。彼らの良心が明らかに目覚めたのです。(無罪が終わる)

by カレブ