1-4 選択の力(その1)

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第1課/チャート4

Ⅳ.選択の力

1.アダムとエバ - 無罪
 創世記の2章は男と女の創造にふれ、より詳しく述べています。神が東の方にエデンの園を造り、アダムを置いたことも書かれています。園は素晴らしい所で、見て美しく食べるによい全ての木が生えていました。エデンから流れ出た川が園を潤していました。神はこの楽園にアダムを置き、園を耕させ守らせました。

a.禁断の木
 しかし主は同時に、アダムにもう一つの命令も与えました。アダムの意志にまかせたままではなく、一つのことが、彼に禁じられました。神は言いました。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」(創世記2:16、17) 園のもう一つの珍しい木は命の木でした。(創世記2:9) 命の木の実は食べてもよかったのですが、善悪を知る木の実は食べることが禁じられました。アダムは無罪の状態にありましたが、この木の実を食べることで彼の意識が目覚めることになりました。

b.アダムにエバが与えられた
 主はエバより先にアダムを造りました。その後、神は人が一人でいるのは良くないと思い、言いました。「彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2:18)「助け手」という言葉は「助け」を意味するヘブライ語から訳されています。主はアダムを深く眠らせ、アダムのあばら骨の一つを取り女を造りました。神は女をアダムのもとへ連れて行きました。その時アダムは言いました。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉 男から取ったものだから、これを女と名づけよう」(創世記2:23) 無罪の状態にあったので、アダムとエバは裸で 恥ずかしいとは思いませんでした。

c.人には自由意志が与えられた
 なぜ神が禁断の木を園に置いたのか、疑問に思う方もいるでしょう。アダムとエバが罪を犯す機会になるようなものを置かなかったら、もっと良かったのではと。

 こうした疑問は神が人を造ったときの目的を見過ごしにしています。神は操り人形やロボットを造ったのではありません。選択の力と自由意志を持つ存在を造ったのです。神の約束は望む者全てに与えられています。(黙示録22:17) ものごとに選択権のないもの、すなわち強いられてその関係にある存在と、喜び満ちた関係を神が持つことは可能でしょうか。

 人と動物の世界のとの違いの一つにはこの選択のカがあります。すなわち、善か悪をするのを意識的に選ぶ余地です。初めから、神は人に善をすることを選び生きるか、悪をすることを選び死ぬかを選択する能力を与えました。

 昔、ある家庭に二人の兄弟が生まれました。ジョン・カルヴァンは勉強家で思慮深く礼儀正しい人でした。27歳の若さで彼は世界の名著の一つである「キリスト教綱要」を書きました。民主政治と宗教の自由という世界的に偉大な思想を残して1564年ジュネーブで世を去りました。一方、兄弟チャールズは不義に浸った生活を送りました。この二人の遵いをどのように説明できるでしょう。遺伝や環境、教育ではありません。彼らは同じ家庭で育ち、同じ影響と機会が与えられていました。違いは選択ということにあります。


By カレブ