創世記-バベルの塔

 私がアメリカに勉強をしに言った時、矢張り言葉についての壁がありました。外国であるので言葉が違うことは当然のことで、それも勉強をする1つではあったのですが、私にとっては大変なことでした。2、3歳の子供は、字も書けないのに英語がペラペラで、いいなぁなんて思ったりもしていました。

 聖書の中に、人々が誇り高ぶり、天にも届くほどの塔を建てる話があります。彼らの思いは神の御前に正しくなかった為、彼らがお互いにコミュニケーションが出来ないように、神が彼らの言葉を変えてしまいました。

 ”全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。

 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。

 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。”(創世記11章1-9節)

 人々の思いがいつも神の思いに反していた為、日本語もあれば英語、フランス語やスペイン語、その他の言語が発生しました。この話を知って、私は「昔の人は余計なことをしてくれたな」と思いました。人々がバベルの塔を造ることをしなければ、アメリカの地で言葉の壁に当たることも無かったのに・・・。

 しかし、神は本当に素晴らしいです。確かにこの地上では様々な言語があります。私と同じようなことを思った人もいるかも知れません。マタイによる福音書24章35節に ”天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。”とあるように、この地上は永遠に続くものではありません。そして、イエスさまを信じて救いを受けた人々は、神の御国に行きます。そこにはもう様々な言葉はありません。皆、霊にあって一つとなる為に、コミュニケーションする為の言葉は必要ありません。神の国では、通訳も翻訳も全く必要ないんです!

 外国の人と話すのが苦手であったと思ったことがあったり、コンプレックスを感じたりしたことのある方、想像してみて下さい。100%相手の言っていることが理解出来、楽しい冗談を言い合っている姿を。楽しいと思いませんか?

by カレブ