充分に愛する

 “あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない”(申命記6章5節)

 或る老人に関する話があります。彼が亡くなった後に遺書が見つからなかったので、裁判所は遺産の競売を行いました。良い物や価値ある物がほとんど全て売られてしまった後、一人の老女が老人のずっと前に亡くなった息子の写真を求めて駆け込んで来ました。彼女はその息子を赤ん坊の時から後にその子が死ぬまでずっと可愛がっていたのでした。そしてついに誰かが一枚の写真を探しだしました。だれもそんな写真を欲しがる者はいなかったので、安価で彼女に売却されました。

 家に帰って写真をきれいにしようと額の裏板を外すと、そこに老人の遺書が出てきました。「この写真を買うほどまでに充分に我が子を愛してくれた者」に対し彼は自分の全不動産を残していたのです。

 神に生きることの鍵は、「…するほど充分に愛する」ということです。どれだけ神を愛しているかは、私たちがどのように生活をするかに関係します。真に神を愛するならば、私たちはあらゆる面で神を喜ばせたいと思うでしょう。神を愛すれば愛するほどに、私たちはさらに互いを愛し、全ての人を愛するはずです。神を愛するとは、全ての悪を憎むことでもあります。充分に神を愛するならば、神と語り合う時をもち、神の御旨を求めることでしょう。愛に代わるものは何もありません。

 彼女は老人の遺言の受取人となるに充分なほど彼の息子を愛していました。そして老人の所有していた不動産を全て相続しました。私たちもキリストにあって神の相続人であり、私たちに対する神の愛によってキリストと共に相続する者となっているのです。どうして神を愛さずにいられるでしょうか?

 “私たちに対するキリストの愛を思うとき、彼を愛することは難しいことではない”
 (ペンテコステ・ヘラルドより抜粋)

By カレブ