ある巡回説教者の話(その2)

 「何故こんなことをするんですか?」とバイアードは尋ねました。 「友だから。資産のある者がみなし子や、やもめのためにすべきことを教えているあの偉大な本(聖書)をお読みになったことはありませんか?」とサンディ。

 サンディが銀行を出て行った後、バイアードは震えました。そして何度も何度も、たった今なにが起こったのかを考えました。今までにもどれだけの機会にサンディは同じようなことをしてきたことだろうか、と。バイアードは巡回説教者に対ずる考えを改め始めました。また、あの未亡人のことも考えました。彼女は自分の僅かな持ち物の中から信仰によって与えることをした結果、この干五百ドルの報いが与えられたのではないだろうか・・・。

 これがワレス・バイアードの人生の転機でした。そしてクリスチャンとなるきっかけとなりました。彼はビリー・サンディが教壇で説教するのを一度も耳にしませんでした。サンディがバイアードにした唯一のメッセージは、小切手に書いた彼のサインでした。

 クリスチャンはあらゆる人に読まれる生ける手紙である、とテモテ第二の手紙三章でパウロは書いています。パウロは、私が書いた手紙は重要であるが、クリスチャンの行いによって日々書かれている手紙、すなわち生活も同じように重要である、と述べました。

 かつて米国大榛蹟であったウッドロー・ウィルソンは、D・L・ムーディと偶然出会った時の輿味深い印象を記しています。
『わたしは床屋の椅子に座っていた。その時、一人の人が床屋に入ってきたのに気付いた。その人は物静かに中に入ると、私と同じように散髪を頼み、隣の椅子に座った。散髪をしてくれている従業員に心から異味をもって接していることが、彼の語る一言一言に表れていた。

 私はそこにいる間に、自分がここで伝道集会に出席しているんだと気付いた。隣に座っていたのは、ムーディ氏だったのである。私はわざとムーディ氏が帰った後もしぼらくそこに残った。そして、ムーディ氏が訪れたことで床屋の従業員全体に及んだ影響を心を留めた。従業員たちは穏やかな声で話した。彼らは、あの人物がムーディ氏であることを知らなかった。しかし何かが自分たちの思いを高めたことを知っていた。床屋を出る時の私は、まるで礼拝所を出た時と同じような気持ちであった」

 私たちの行いや会話は、それを通じて人々の思いが神に向くようなものであるべきです。私たちの生活も、日々、様々な状況にある人々が神のカに気付くものであるべきなのです。全てのクリスチャンが、どこにいようとも、自分に与えられている神の素晴らしい臨在を梧り、あらゆる民族・主義・人に読まれる生ける手紙となっていかなけれぱなりません。今日あなたが出会う一人一人を愛し、世にキリストをもたらしていきましょう。

ペンテコステ・ヘラルド、【今日のダイヤモンド】ジョイ・ヘイニー姉妹著より抜粋)


「愛は、それを誰かに与えるまでは愛ではない」 ・・・ N・ルイス姉妹(ミズーリ州婦人部前書記)

by カレブ