えっ駐車違反?

 本日、ちょっと買い物をする為に車を路上駐車し、買い物に行きました。すぐ帰るから大丈夫だろうと思っていましたが、戻ってみるとなんと、【駐車禁止】ステッカーがフロントガラスに貼ってあり、「しまったっー!」ということになりました。時間を見てみると、約4分前にそのステッカーが貼られていることがわかりました。

 実際の私の買い物時間は、1~2分程度で、もし無事に戻っていたら、何の問題も無いはずでした。しかし、私の前に居たお客さんが、ゆっくりゆっくりしていたのでした。恐らく私は、そのお客さんの買い物が終わるまで、5~6分程待っていたと思います。もし、このお客さんが居なければ、きっと駐車違反は切られなかったと思うとなんとも言えない気持ちと怒りとも言えない気持ちが入り混じった状況でした。

 それでも人身事故を起こしたのではなくて、駐車違反で済んで良かった。と自分を慰める思いと、少し位遠くてもコインパーキングに停めたら良かったという気持ちも芽生えて来ました。その時に戻ることが出来たら、その警官が駐車違反のステッカーを貼る瞬間の戻ることが出来たら、と何度も思いました。

 私の心に、後悔の思いが溢れて来た時に、この思いが与えられました。ノアの時代、悪が地に満ち、神が人を創造されたことを悔い、人々を滅ぼそうとした時、神に従順であったノアに唯一救われる方法を伝えました。ノアは、100年の間、神から指示を受けた方法で箱舟を作り、人々に悔い改めを宣べ伝えていた。しかし、実際に箱舟に乗ったのは、ノアとその妻、ノアの3人の息子とその妻たちの8名であった。

 神が雨を降らせて、水が地に満ち、その水位が上がり、地上に残された人々は、きっとノアが言っていたことを思い出し、後悔し、その時=まだノアが箱舟に乗るように話していた時に戻れればと思ったに違いありません。「後悔先に立たず」という諺を目のあたりにしたのだと思います。

 私は、主が再び来られる日に、主と空中で会いたいです。自分がその時にノアの箱舟に乗らなかった人々になりたくないです。こんなにも素晴らしい救いの計画をイエスさまは私たちに用意して下さいました。どうしてその様な素晴らしい救いの中に入らないで居られるでしょうか?イエスさまは一番格好の悪い、屈辱的な刑でご自分の血を流し、私たちの罪を赦すどころか、その救いの中に入れるように準備をして下さったのです。

 私だけがその救いに入るのでは十分でありません。私の妻、私の子供たち、私たちの両親や兄弟姉妹たち、また友人たちや会社の人たち、またこのブログを見て下さっている人々と共に、主イエスさまの恵の中に入って行きたいです。私の大切にしているものを捨ててでも、その救いに入る価値は十分以上にあるのです。

 “それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。” (使途行伝16章30-31節)

By カレブ