その力の源

 先日、ホームセンターにスクーターで買い物に行きました。必要なものを購入して帰ろうとしたところ、バッテリーがあがってしまって、スクーターのエンジンがかからなくなってしまいました。まだアパートまでは約40分の道のりです。押して帰るには到底難しい状況でした。さて、どうしようか?

 ホームセンターにスクーター用のバッテリーが置いていないか戻って見る事にしました。車用のバッテリーはありましたが、スクーター用はありませんでした。しかしこれまで車でバッテリーが上がってしまった時など、他の車のバッテリーとケーブルでつないで、エンジンをかける方法を思い出し、ケーブルを購入しました。ホームセンターの人に事情を説明して、3分後・・・貸し出し用の軽トラックが私のスクーター前に登場しました!

 スクーターのシートを開け、バッテリーを取り出し、ケーブルをつなげました。ケーブルの反対側を軽トラックのバッテリーに接続して、いよいよエンジンスタートです。「ブルルル・・・、ブルーン!」 無事にエンジンがかかりました。「イエスさま、感謝!!」

 エンジンがかかった時、こんなことを感じました。スクーターのバッテリーは、もうエンジンをかける為の力はありませんでした。どんなにがんばっても、どんなに時間をかけても十分な力は無かったのです。しかし、エンジンをかけることの能力がある別のバッテリーと接続すると、そのバッテリーからエンジンをかけるに十分な力が、スクーターのバッテリーに流れ、エンジンをかけることが出来たのです。別のバッテリーとエンジンとは、直接つながってはいません。エンジンとつながっているのは、あくまでもスクーターのバッテリーです。

 これと同じように、人も自分自身ではどうすることも出来ないことが多々あります。どんなにがんばっても、どんなに時間をかけても出来ないことがあります。自分の力、能力ではどうすることも出来ないことがあります。しかし、神には出来ないことは無いのです。人が全能の神とつながる時に、神はその人を通して、人の出来ないことをなさるのです。

 人が神とつながる方法、それは“信仰”です。
“信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。”(ローマ人への手紙10章17節)
“信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。”(ヘブル人への手紙11章6節)


By カレブ