創世記-人が犯した罪のゆえ

 創世記1-2章に、神が7日間で天地を創造されたことが書かれています。この話は、映画などにもなり、多くの方が知っている物語です。その後サタンがへびを用いて、「神が食べてはならない」と言っていた木の実を食べるようにエバを誘惑しました。今度はエバが夫のアダムに、その木の実を食べるように勧めました。神がこのことについて、アダムに「食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」と問い正しました。するとアダムがこのように返答をしました。「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。

 人はいつでも自分が正しいと思っています。また、自分が失敗してしまった時は、誰かのせいにしてしまいます。仮にもアダムは、彼の助け人として与えたエバが、自分をそそのかしたのだとエバのせい、また神のせいにしてしまったのです。

 人が神の言葉に聞き従わなかった為、それぞれに罰が与えられました。

 へび-「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう」
    ⇒ 現在へびには足がありませんが、足が退化した痕跡があるそうです。

 エバ-「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む」
    ⇒ 確かに女性が出産する時は、男性では耐えることの出来ない痛みであるそうです。

 アダム-「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」
    ⇒ 多くの男性は、生活をする為に働いています。

 しかし最初に神は、このことをアダムに告げていました。
    ”「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」”(創世記2章16-17節)

    ⇒ その善悪を知る木からの実を食べてしまったアダムとエバは、その時に死ぬことはありませんでしたが、やがてアダムが930歳の時、彼は亡くなりました。現在私たちが命を受け、やがて死んでしまう運命にあります。死んでしまうのなら、どうして生まれて来たのか考えたことはありませんか?

 しかし、神イエス・キリストは、人が死に対して恐れている気持ちを払拭したのです。それは十字架で死なれ、葬られ、3日目によみがえったが故にです。死は、神キリストの復活を妨げることは全く出来ませんでした。神の前では、「死」は無力なのです。

”なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。”(ローマ人への手紙8章2節)

 この復活されたイエスさまを信じて下さい。あなたが感じている「死に対するおそれ」は完全に無くなるのです。そして、イエスさまが復活された様に、永遠の命をあなたに与えたいと願っているのです。

 by カレブ