ぶどう狩り

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 先日の土曜日、家族でぶどう狩りに行きました。私はなるべく味覚狩りに行くことにしています。子供たちに果物が出来る様子を知ってもらいたいからです。

果樹園の方 - 「ぶどう狩りですか?はい、出来ますよ。どうぞこちらに来て下さい」

 鳴いている鶏にこ突かれない様に通された道を通り過ぎ、ぬかるんだところを避けながら、ぶどうのなっている木の下まで来ました。地面からぶどうの房がある高さまで4m程もありました。私と子供たち3人は、簡単な使い方の説明を受けた後、高所作業車に乗り込み、目的の房目がけてリフトを上げていきました。揺れる、揺れる!子供たちが落ちはしないかと心配しつつ、「パパにつかまれ!」と叫びながらリフトは上昇していきました。房を包んでいる紙袋を破いて、実のたくさんついたぶどうを探しました。子供たちは変わるがわるぶどうの枝を鋏で切り、籠に入れていきました。とても楽しかったみたいです。

 私はというと、学んだことがありました。同じぶどうでも実がたくさんあるものもあれば、少ないもののあり、また傷んだり、虫に食べられているものもありました。同じぶどうの木からなっているぶどうであっても、それぞれの状態は同じではありませんでした。聖書にイエスさまがぶどうの木で、私たちがそのぶどうの木に繋がっていると良い実を結ぶという御言葉があります。

“わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。” (ヨハネによる福音書15章4、5節)

 私は、以前イエスさまを知らない者でした。でも私がイエスさまを知る前からイエスさまは私のことを覚え、助け、愛して下さいました。私のためにその十字架にもつかれ、人々につばきされ、ののしられ、辱められました。そのことの故に、私は心からイエスさまを愛し、共に歩んで生きたいと思っています。ぶどう狩りで見た、あのたくさん実がついていたぶどうの様に、私もイエスさまに繋がる枝となり、豊かな実を結んでいきたいです。

追伸:そのたくさん実のついたぶどうは、とても甘くて美味しかったです。

By カレブ