私たちの証し(5-9)

 「私たちの証し」は、教会に集う人々が神イエス・キリストを知り、それまでの人生が全く変えられたという実話です。

 私たちの証し(5-8)からの続きです。

 それから1年後、主は私に地獄の状況を強く示して下さり、主は1週間ぐらい私の魂にボーリングボールのよう重い重荷を与えました。ある日曜日の礼拝の終わり頃、私は、今までに経験した事の無い、とりなしの祈りへと導かれました。私は叫び声と共に魂の底から、ボーリングボールが何個か飛びだしてくるような、大きなとりなしの祈りになり、そしてスルリッと私の霊が抜けたような状態になりました。私の意識は半分何処かに行ってしまっている感じでした。しかし祭壇に主の強い臨在を感じていました。1時間程、魂の祈りが始まり、両手を広げ異言が、弓矢のように溢れてきました。

 その後、私は家でも主との強い交わりを持つようになりました。ある頃、私が悩みの中にある時、娘の為にとりなしの祈りをしていると突然聖霊が私に注がれ、私は抱えきれなくなり、そのまま仰向けに倒れてしましました。するとその時ビジョン(幻)が見えたのです。丁度天の窓が開かれた光景が写り、イエスさまが天の御座から私のもとに聖霊を流している姿が見えました。そして、その表情が私の事を喜び楽しんでいるようなお顔をしていました。私は、魂の底から異言と共に抱えきれない程の喜びと笑いが弓矢のように溢れ、1時間以上そのような状況が続きました。主は、“私はあなたを決して、孤児とはしない”と語ってくれました。

 また、こういう事もありました。ある頃、様々な暴力に悩む人が私の所に相談に来たり、ある種の人が私に近づき、脅迫したりしてきました。私は自分でも知らない内に心の中に恐れを溜め込んでしまい、朝の3時頃、突然恐怖感に襲われ、目が覚め、そのまま主の臨在の中に導かれました。するとその時、ハッキリとイエスさまが私の後ろにおられるのを感じました。イエスさまは、優しく私の両肩に両手を置かれ、そして私に語りました。“あなたはどうしてそんなに死を恐れるのか、あなたが死んだら私と逢えるではないか”と、その瞬間に私の内にあった恐れが取り除かれました。そして平安と喜びに満たされ、踊り上がりました。私がもし死んだとしても、イエスさまと逢える約束が与えられていると思うと本当にうれしくてたまりませんでした。 続く・・・。 By カレブ