私たちの証し(5-7)

 「私たちの証し」は、教会に集う人々が神イエス・キリストを知り、それまでの人生が全く変えられたという実話です。

 私たちの証し(5-6)からの続きです。

 主人は、自分の全ての重荷と疲れをきれいな海で、癒されたかったのでしょう。私は、今思い出しても、あの頃彼がイエスさまを信じ聖霊を受け入れ、全ての重荷をイエスさまに委ねる事が出来ていたら、イエスさまは彼を大きく成長に導いていた事でしょう。また、あの頃、私の内に神の愛が流れていたら、私は救う導き手になっていた事でしょう。だから、私は人々に証しをする決心をしたのです。本当に全ての人に聖霊の力を信じて欲しいのです。そして真実の神に立ち返って欲しいのです。夫の死後、サタンは私をも騙そうとして、全ての希望を失った私の思いに強く働きかけてきました。

 私はいったい何の為にこの世に生まれてきたのだろうと思い、死ぬ事しか考えきれませんでした。アメリカでの夫の葬儀中でも、またいつも私の思いに死の声がささやき、眠れずに何日も過ごしました。ある夜、子供たちが寝静まった後に山の中に行って、最期を遂げようと考え、どんな方法が良いか、色々思考を凝らしていました。その日に限って子供たちは何時になっても寝てくれず、そして妹と遊んでいたまだ3歳にしかならない上の娘が、突然怒ったように私の方を振り返り、「お母さん、何考えてるの!」とビシッとした口調で私に言ってきました。それから、また無邪気に妹と遊び始めました。私は我に返りました。きっと、あの時イエスさまは私の娘の口を用いて、私に叱ってくれたのだと思います。

 それから、何とか一生懸命頑張り、毎日繰り返しの生活の中、重荷だけがつのっていきました。また、夫の死をきっかけに死後の事を真剣に考えるようになりました。そして、飢え渇きのあまり、真実の神を心の底から求めていると神は不思議な方法をもって、ユナイテッド・ペンテコステ教会という強い神の働きのある教会に導いて下さいました。私はイエス・キリストの恵みと哀れみによって、十字架の罪の許しの購いである聖霊を魂に受け入れたところ、言葉に表す事の出来ない喜びが心の底から泉のように湧き上がり、口から異言があふれ、神の言葉を貰う不思議な体験をしました。まるで、この世に居て、天国の素晴らしさを感じているようで、お金や、この世の物を全て失っても手に入れたい程の素晴らしさでした。 続く・・・。 By カレブ