主が与える試錬

 私たちは、辛いことなどがあると「どうしてこんなことに・・・」「なぜ自分だけが・・・」などと思ったことは無いでしょうか?私はよくあります。今でもあります。あの人はいつも上手くいくのに、どうした私はいつもこんな風なのだろうと。

 可能であれば、誰でも辛いことや嫌なことはさけたいと思います。悲しいことなんて決して経験したくありません。「主イエスさまを信じていれば何の問題もありません」と言えるでしょうか?いいえ、信じていても問題は発生します。でもイエスさまはその辛い状況の中に私一人をその所に居るようにはしていません。必ず備えの道を用意して下さっているのです。

 “あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。”(コリント人への第一の手紙10章13節)

 では何故、イエスさまは私たちをそのような所を通らせられるのでしょうか?人は自分と同じ体験した人に対して、心を開くのではないでしょうか。その人のことを自分の経験を通して、何か手助けをしたいと思うのではないでしょうか。同じ経験をした人の気持ちを理解することが出来るのではないでしょうか。そして、今その辛い状況に居る人に励ましを与えることが出来るのではないでしょうか。そうしていくならば、人々はもっともっとお互いを気にかけ、愛していけるのではないでしょうか? by カレブ