クリントン元アメリカ大統領(その2)

 クリントンアメリカ大統領の自叙伝「マイライフ」より、私たちのペンテコステ教会について記述されている部分をご紹介します。クリントンアメリカ大統領(その1)からの続きです。

 “一九七七年から九二年まで、一度を除いて毎年、わたしはそのサマーキャンプに出かけ、友人をいっしょに連れていくこともよくあった。初めて参加してから二、三年して、わたしが昔、聖歌隊にいたことが知れると、ある誘いを受けた。頭のはげかかった聖職者たちから成る。ボールド・ノバーズというカルテットでいっしょに歌おうというのだ。わたしは大喜びで参加し、頭髪の問題を除けば、文旬なくその四入組に溶け込んだ。

 毎年、わたしはペンテコステ派の人々の信仰が新たに驚くべき形で表わされるのを目の当たりにした。ある年に注目を集めた牧師は、無学であるのに神から聖書を暗記できる能力を授かったと述べて、説教のなかで聖書から二百三十の節を引用した。わたしは持っていた聖書で牧師の記憶のほどを確認してみたが、二十八節まで調べたところでやめた。一語たりとも間違っていなかったのだ。またあるときは、毎年サマーキャンプに参加している若い重度の障害者が、自動の車椅子に乗ったまま祭壇での祈りの呼びかけに応じるさまを見た。礼拝堂は床が前方に向かって傾斜しており、この青年は中央より後ろのほうにいた。そこから車椅子をフルスピードにして通路を疾走すると、祭壇の手前三メートルほどのところで急ブレーキをかけ、車椅子から宙を舞うように飛び出して、ぴたりと祭壇の前に膝で着地した。そしてほかの信者たちと同じように身を乗り出して神を讃えた。

 ペンテコステ派についてわたしが目にしたあれこれよりも、もっとずっと重要なのは、わたしが信者たちとのあいだに築いた友情だった。わたしは信心を実践するその生きかたゆえに彼らに好感を抱き、敬服した。この一派の人たちは厳格な妊娠中絶反対派だが、ほかの反対派とは異なり、親が望まない赤ん坊には、その子の人種や、心身障害の有無を間わず、必ず愛情ある別の家庭を見つけてやっている。妊娠中絶と同性愛者の権利についてはわたしと意見を異にしていても、隣人を愛せというキリスト教の訓戒に従っていた。一九八○年にわたしが知事の再選を果たせなかったとき、いち早くもらった電話のひとつが"ボールド・ノバーズ"の一員からのものだった。三入の聖職者がわたしに会いに来ることを伝える内容だ。聖職者たちは知事公邸にやってきて、わたしとともに祈り、わたしが負けようが勝とうがわたしに対する愛に変わりはないと告げて、帰っていった。 “

【マイライフ 上巻 ビル・クリントン(著)、楡井浩一(翻訳) 朝日出版社 P416~P417より抜粋】 
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