クリントン元アメリカ大統領(その1)

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 クリントンアメリカ大統領の自叙伝「マイライフ」より、私たちのペンテコステ教会について記述されている部分をご紹介します。

 “それからしばらくして、わたしは白人のキリスト教徒たちが同様の体験をする場面に出会った。司法長官室で会計官を務めているダイアン・エヴァンズが、リトルロックの南約五十キロのところにあるレッドフィールドで毎年行なわれるペンテコステ派のサマーキャンプに招待してくれたのだ。ダイアンはペンテコステ派の牧師の娘で、ほかの敬慶な女性信徒と同じようにいつも地味な服を着て化粧はせず、髪は切らずに後ろで束ねて結い上げていた。当時、ペンテコステ派でも厳格な信者たちは、映画鑑賞やスポーツ観戦まで控えていた。多くは車に乗っても宗教音楽の番組以外はカーラジオさえ聴こうとしなかった。わたしはペンテコステ派の信仰と礼拝のしきたりに興味があり、ダイアンと知り合ってからは、いっそうその関心が深まった。ダイアンは才女で抜群に仕事ができ、とてもユーモアのセンスがあった。ペンテコステ派の信者がやってはいけないことを数えあげてわたしがからかったとき、ダイアンは教会が楽しいから不足はないと答えた。そのとおりであることが、すぐにわたしにもわかった。

 レッドフィールドに着くと、ペンテコステ派の州の指導者ジェイムズ・ランプキン師を始め重職の聖職者たちに紹介された。そのあと約三千人を収容できる礼拝所に入った。わたしは説教師たちと同じ壇上の席に着いた。わたしの紹介や前置きがあったあと、わたしの知るどんな黒人の教会音楽にまさるとも劣らないパワーとリズムにあふれた調べとともに礼拝が始まった。聖歌が二、三曲すんだところで、若く美しい女性が会衆席から立ち上がり、オルガンの前に坐ると、わたしの聞いたことのないゴスペルソング『エホバの前で』を歌いだした。すばらしくて息を呑んだ。気がつくと感動のあまり涙を流していた。歌ったのはランプキン師の娘でアンソニー・マンガン師の妻、ミッキー・マンガンだった。アンソニー・マンガン師もまた両親と妻ミッキーとともに、ルイジアナ州アレクサンドリアにある大きな教会で牧師を務めていた。ゴスペルソングに続いて牧師の活気ある説教が"異言の祈り"-聖霊に導かれるままに発する音の羅列-を差しはさみながら行なわれたあと、会衆に、前へ出てきて膝くらいの高さがある祭壇の列で祈るよう呼びかけがあった。両手を挙げ、神を賛美しながら、そしてやはり異言の祈りを唱えながら、多くの人々が前に出てきた。わたしにとっては、けっして忘れられない夜となった。“ 

【マイライフ 上巻 ビル・クリントン(著)、楡井浩一(翻訳) 朝日出版社 P415~P416より抜粋】 
明日へ続く・・・。 By カレブ