クリントン元アメリカ大統領(その3)

 クリントンアメリカ大統領の自叙伝「マイライフ」より、私たちのペンテコステ教会について記述されている部分をご紹介します。クリントンアメリカ大統領(その2)からの続きです。

 “信仰心に忠実であることに加えて、わたしの知るペンテコステ派の人々は善き市民でもあった。投票を棄権するのは罪だと考えていた。知り合った牧師のおおかたが政治と政治家を好み、自身も老練な政治家たりえる人たちだった。一九八○年代半ばには、アメリカ全土でキリスト教原理主義者が、保育所
州の定める基準を満たし認可を得ることを義務づける州法に抗議していた。なかには抗議運動が過熱して事件に発展した地域もあり、ある中西部の州では保育所の基準を受け入れるより投獄されることを選ぶ牧師まで出た。この間題はアーカンソー州でも大きな騒ぎを引き起こす可能性があった。宗教団体の経営する保育所とのあいだに悶着が起こり、州の新しい保育基準が未決定のままになっていたからだ。わたしは友人となったペンテコステ派の牧師二、三人に来てもらい、真の問題点を探ってみた。返ってきた答えは、州の保健・安全基準を満たすことにはなんの問題もないのだが、州の認可を得てそれを壁に表示するというのが引っかかるというものだった。教会は保育を自分たちのきわめて重要な役務の一部と見ていて、そういう教会の事は、合衆国憲法修正第一条が保障する宗教の自由にもとづいて、州の干渉を受けないはずだと考えていたのだ。わたしは州の新しい基準のコピーを渡して、読んだ感想を聞かせてくれるよう頼んだ。翌日、ふたたびやってきた牧師たちは基準に問題点はないと答えた。そこでわたしは妥協案を出した。宗教団体の経営する保育所は、州の基準を基本的に満たし、定期的な視察を受け入れることを条件に、州からの認可の取得が免除されるという内容だった。牧師たちはこの提案を呑み、危機は去って、基準が発効し、わたしの知る限り、教会が経営する保育所はいっさい問題を起こしていない。

 一九八○年代のある復活祭のこと、ヒラリーとわたしはチェルシーを連れてアレクサンドリアマンガン牧師夫妻の教会に赴き、"イースター・メシア(救世主の復活祭)"の礼拝に出席した。音響、照明は第一級、舞台装置はリアルで、本物の動物まで登場し、主演者はすべて信徒たちだった。曲の大半はオリジナルで、演奏もみごとだった。大統領になってから、たまたま復活祭のころアレクサンドリア近郊のフォートポークにいたときのこと、いい機会だからまた参加しようと、ついでに、同行していた記者団を誘い、ほかにルイジアナ州選出のふたりの黒人下院議員、クレオ・フィールズとビル・ジェファソンにも
声をかけて、一同連れだってメシアの礼拝に出席した。式の途中で明かりが消えた。と、よく知られている賛美歌を女性が深く力強い声で歌い始めた。マンガン師はジェファソン下院議員のほうに身を乗り出してきいた。「ビル、この信徒は白人、黒人のどちらだと思いますか?」。ビルの返事は「黒人女性です。間違いありません」。その二、三分後、明かりが点いて、髪を結い上げた黒いドレスの小柄な白人女性の姿が現れた。ジェファソンはただ首を振っただけだったが、わたしたちの二、三列前に坐っていた別の黒人が、こらえきれずに口走った。「まいったね、白人の女せんせいだ!」。ショーが終わるころには、ふだんは冷めた目でものを見ている記者団のなかにも、音楽の力に懐疑の鎧を刺し貫かれたのか、涙を浮かべている者たちがいた。“

【マイライフ 上巻 ビル・クリントン(著)、楡井浩一(翻訳) 朝日出版社 P417~P419より抜粋】 
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