愛・LOVE

 人が思っている「愛」と、主イエスさまが思っている「愛」は全く違っていた。私は人を愛するということを自分では理解しているつもりだった。私が思っていた「愛」とは、その人を思い、大切にするという理解であった。そしていつまでもこの人を好きでいるという強い思いもありました。でも不思議ですね。その人とお別れして時が経つと、
あれ程愛していると思っていた人のことを殆ど考えることがなくなりました。あんなに好きで、決して忘れることなど無いと思っていたのに・・・。おそらく人の愛とは所詮このようなものなのかもしれません。愛していると思いながらも心の何処かで何らかの見返りを求めているのが、人の言う「愛」なのではないでしょうか?

 イエスさまが思っている「愛」は、全く違いました。決して見返りを求めること無く、与え続けることでした。そこには無条件の「愛」があるのです。御言葉で、「愛」について記されています。

 “愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。・・・このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。” (第一コリント人への手紙13章)

 どんなに素晴らしいことを他の人にしてあげても、全ての持ち物を与えたとしても、もし愛がなければそれらは無に等しいのです。主イエスさまが鞭に打たれたのは私たちが負った怪我や病を癒すためであり、十字架につかれたのは、私たちの罪を購うためでした。人々がアダムの罪によって神から離れ続けていることをイエスさまは望まれませんでした。私たちが生まれる前から主イエスさまは私たちを愛しているのです。

 ”わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。”(ヨハネによる福音書15章12ー13節)

by カレブ