イエス・キリストが来られた目的

 創世記において、神と共に居ることの出来たアダムとエバ。でもサタンの声に惑わされてしまったエバ、自分のしていることを理解していながら神のことばに逆らってしまったアダム。彼らはエデンの園から追放されてしまいました。彼らはその罪の故にこれまで神と共に居ることが出来た状態から、大きな隔たりが神との間に出来てしまいました。しかし神は、ご自分が創造された人間と再び共に居ることが出来るように救いの道を人々に備えて下さいました。

マタイによる福音書1章21節
”彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おの
れの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。”

ルカによる福音書4章18ー19節
”「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるため
に、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が
解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由
を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。”

ヨハネによる福音書10章10節
”盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならな
い。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。”

ルカによる福音書19章10節
”人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。”

ガラテヤ人への手紙4章5節
”それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を
授けるためであった。”

ヨハネの第一の手紙3章8節
”罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているから
である。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。”

 今は恵の時です。だれでもこの救いの中に入ることが出来ます。
聖書には、人は罪人(つみびと)であるとあります。私は最初その言葉を受け入れることが出来ませんでした。これまで警察のお世話になることなど無かったからです。でも人が定めている罪と、神が定めている罪には違いがあります。人が定めている罪は、行いです。その罪の行いをすると罪となります。しかし神の定めている罪は心の思いなのです。子供たちに嘘のつき方を教える親はいません。しかし、子供たちはどこで覚えるのかいつの間にか嘘を言うようになります。アダムが行った罪の性質は、今も人々に受け継がれています。ですが、主イエス・キリストはその罪人(つみびと)との間に出来てしまったその大きな隔たりをいつまでも持ち続けたいとは思っていません。悔い改め、また主と共に居ることが出来るように、主はその救いの道と方法を私たちに示して下さっています。by カレブ