私の牧師

 私は二人の牧師がいます。一人は日本人の牧師で、「預言」の賜物をもっています。兄弟姉妹一同で祈っている時に、神からの言葉を預かり、その預かった言葉を語ります。新約聖書の第一コリント人への手紙12章で霊の賜物について書かれていますが、そこで出てくる預言のことです。

 もう一人の牧師はアメリカ人で、「知識の言」の賜物をもっています。この知識の言は、神以外、到底、人が知り得ることがないことを神からの啓示を受けて知ることです。新約聖書使徒行伝5章にアナニヤとサッピラという夫婦が共謀して神を欺いた話しがあります。神以外知ることが無い事実をペテロは啓示を受け、二人の不正を指摘しました。「知識の言」はまさにこの賜物のことです。

 私は過去に2回このアメリカ人の牧師に呼び出しを受けました。「あっ、S兄弟、ちょっとお話をしたいのですが、何処かでお会い出来ますか?」と電話がかかって来ました。勿論、突然なので何かあるなぁと思い、教会の近くのデニーズで待ち合わせました。その2回とも、私の正しく行いについて啓示を受け、御言葉を分かち合って下さいました。“不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。”(聖書) 確かに指摘されるのは心苦しいですね。それは肉の思う気持ちです。でもこの様にも思えます。全能の神が、全てを創られた神が、私の牧師を用いて正しくないことを教えて下さっている、と。この時に神がこんな私をも愛して、正しい道に歩むように導いて下さっていることを知り、心から感謝の気持ちで一杯になりました。神は愛です。イエス・キリストは私たち一人一人を大切に思い、いつも助けて下さる方です。By カレブ