2月26日「それはイエスである」ルーカス牧師

“地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。“(イザヤ書45章22節)

 「私を仰ぎ望め、そうすれば救われる」と聖書の多くの箇所でこれを見ることが出来ます。また神に望みを持ち信頼し、信仰を持つようにとも言っています。

 詩編62篇1節で、私の救いは神から来る。他の聖句では私の救いは神だけから来る。ダビデは神に確信し、信頼することを学びました。

 詩編118篇に、君主に信頼することは虚しいことであると聖書は言っています。預言者エレミヤは、2種類の人について説明をしました。

 ある人は自分に信頼をおき自分の能力に信頼をおいている人です。自分は頭が良いと思い、自分だけが正しいと思っている人です。その様な人は渇ききった木のようであると言っています。葉も無く、実も無く、命の無い。自分の知恵、自分の能力に頼るものはその様であると言っています。また、自分以外の人間を頼っている人もその様な者であると言っています。エレミヤはその様な人を渇いた砂漠で背の低い枯れた木のようであると言っています。

 また別の人は、神が自分の望みでその神に信頼をおいている人です。神に信頼をし、信仰を持って神と歩むことを学んだ人です。それは美しく、沢山の実を付け、美しい川のそばに植えられている木のようです。渇いた季節にあって、他の木は花も無く、実も無くても、その木だけはいつも美しく実をつける木のようです。その美しい川がいつもその木の必要をその木に与えているからです。

 自分自身に信頼し、その能力に頼っている人はその砂漠にそれらのものを植えている人です。自分自ら雨の降らず、自分自身が成長することの出来ない場所に居ると言っています。そこでは実を豊かに実らせることが出来ない場所です。しかし、神に信仰をおくときに絶えず実を結び、絶えず神の祝福を受けることが出来ます。経済状況がどの様になろうと問題ではありません。政府にどの様なことが起きようと問題ではありません。独裁者が現れ、その国で生活しようとも何の問題もありません。いつもその根を神にはり、神に信頼する者は必ず実を結んでいきます。神はある人たちだけを召されるのではありません。全ての人々に対してこのことがあてはまります。

 マタイによる福音書11章28-30節に “私はあなたがたを休ませてあげよう” とあります。多くのストレスを受け、クタクタであるならば、私のところに来なさい。私があなたに休みを与え、あなたの心に安らぎを与えると。御霊の実で、愛、喜び、平安とあります。あなたが私のところに来るならば、あなたの心に大きな愛が芽生え、あなたの人生で感じる喜びも大きくなる。また心の中の平安も大きくなります。

 この世界の中で何処に行ってもこの様な愛、喜び、平安を得ることは出来ません。ただ唯一の神イエスのもとだけで、それらを得ることが出来ます。国の指導者であっても、人々にその様な愛、喜び、平安を与えることは出来ません。また、どれ程のお金持ちの人でも同様です。しかし、これらのものは世界中の全ての人に神が与えると約束して下さっています。最も富んだ者も最も貧しい者でも神から受けることが出来ます。また最も賢い人でも、そうでない人も受けることが出来ます。

 色々な病気の人がイエスの所に運ばれて来ました。ある人々はその病気に長い間苦しみました。しかし、聖書は彼らの全てをイエスは癒したと言っています。体の問題だけで無く、心の問題を持った人もイエスの所へ来ました。悪霊に取りつかれていた人も全てイエスは癒し、問題を解決されました。1回だけでは無く、何度も何度もその様にされました。イエスを信じない者でも人々が癒されるのを聞き、自分の家族をイエスに連れて来ました。どんな辛い所をあなたが通っていたとしても、イエスを信じるならば、あなたにはその希望があるのです。

 拝島ユナイテッド・ペンテコステ教会
 東京都昭島市緑町5-13-39
 教会員 佐藤和森
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