1月1日 「そのドアは開かれています」 ルーカス牧師

“見よ、わたしはこの地をあなたがたの前に置いた。この地にはいって、それを自分のものとしなさい。これは主が、あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた所である』。見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの前に置かれた。あなたの先祖の神、主が告げられたように、上って行って、これを自分のものとしなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』。”(申命記1章8、21節)

 神は約束されている地をアブラハムに約束されました。そしてこの約束をイサク、ヤコブに継承しましたが、この約束は400年間成就されないと言いました。エジプトでイスラエル人は奴隷として働いていました。モーセが神からの召しを受け、イスラエル人をエジプトから導きだすように言われました。でもモーセイスラエル人でさえ私を信じていないのにエジプトの王が私の言うことを聞くだろうかと不安になりました。神は私が行うという事は必ず行なわれる方です。そしてこれまで人々が見た事も聞いた事も無い方法を用いて、そのイスラエル人をその地から導き出しました。300~500万人の人々が荒野でさまよいました。イトーヨーカ堂セブンイレブンも無い所です。人々は食物や水をどのようにしたら良いのかと思いましたが神が人々にそれらを与えました。神がなされる事は本当に素晴らしく、水にしてもただの水ではなく、深い井戸のおいしい水をその民に与えました。そして神は40年間人々に決まった時間に食物を与えました。台風や洪水で配達が遅れるということもありませんでした。また配達されないという日もありませんでした。イスラエルの民が神を信じなかったので、彼らは40年間荒野をさまよわなければいけませんでしたが、それでも神は彼らを正しく養いました。乳と密の流れる国をイスラエルの人々に神は与えると約束しました。しかし、それを1日や1年で与える事をしませんでした。神は彼らを愛するか故、その時が来る前に彼らに与えるならば彼らを滅ぼしてしまう可能性があるからです。

 その地に入る時、その地の人々と契約して住む事も可能であるが、神はそれを行いたくありませんでした。何故ならその地に住む人々とご自分の民であるイスラエル人が結婚をして良くない生活の影響をその民が受け、滅んでしまう事を避けました。自分を正しくする時に、聖くないものから自分自身を遠ざけなければいけません。それ程神はご自分の民を愛していました。

 ヨハネの黙示録にあるフィラデルフィアの教会に対して神は言いました。私はドアを開いた。だれも開く事の出来ないドアを開いた。あなたがそのドアを通るか通らないかはあなたの自由です。そのドアの向こうにあるあなたに約束された物を得るならば、あなたは立ち上りそれを得ていかなければいけません。ただ見ているだけではそれは得られないのです。神が驚くべき道を私達に開いて下さっています。もし、それを得たいのならばあなたはそれを得る事が出来ます。“バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。”とマタイによる福音書11章12節では言っています。神の言葉を信じる者達がそれを奪っています。あなたが欲しいならばそれを追って行かなければいけません。神はそのように激しい人々を求めています。神の約束によって私達はそれを受ける事が出来ます。それは今日受けないかも知れません。しかし、毎日毎日神の約束を信じて行なっていくならば必ず私達は神の約束を受けていきます。

 神はあなたとの間に素晴らしい関係というドアを開かれました。誰でも私に従ってくるならば、日々自分を捨てて十字架を背負って神に従って行かなければいけません。私は神との歩みを持ちたい。私は主の霊によって導かれたい。私は間違いをするかも知れません。自分自身を恥ずかしめてしまうこともあるでしょう。でもそんな事を気にせず、私が神から得る事が出来ると神が言うならば私はそれを得ていきます。世の中で神との歩み以上に尊いものはありません。だから私はそれを得ていきます。神がそのドアを開くために神がご自分の命を捨てて下さり犠牲を払って下さったので、私は命を得る事が出来ました。ですから、何をも私が天国へ向う事を妨げるものはありません。神は私達の前に祈りのドアを開いています。祈りのドアを壊して開けたり、蹴って開けたり、爆弾を用いて開けようとしたり、開くまで待っている必要はありません。既にそのドアは開かれています。神はあなたがその中に入って来る事を待っています。祈りによってあなたに神を知ってもらいたい、霊的な戦いに対する祈りの方法を教えたいと思っています。自分の思いと神の御旨を合わせる方法や霊的な砦を崩す方法を私達は行う事が出来ます。そのドアは既に開かれています。神はあなたにそのドアを通ってくることを今、待っています。