11月27日 「神はご計画に従って召された者たちと共に働く」 加村牧師

”神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。”(ローマ人への手紙8章28節)
 
神は召された者達をキリストの形に似た者とされます。そしてその者は栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくと聖書は言っています。これは霊なる主の働きによるのです。主は霊であり、その主の霊のあるところにはサタンの束縛から解放される自由があります。

神は私達に賜物と召しを与えられます。そしてその与えられる賜物と召しは変わることがありません。神は私達をご自分の計画の内に召して下さり、私達を神の栄光のために用いようとされています。この賜物とは聖霊のことです。この聖霊の性質は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です。人が聖霊を受けるとき、人はこれらの性質を帯びていきます。これにより神が賜物を与え召した者が御国に行くことが出来るように導きます。

神はなぜそのように私達を導かれるのでしょうか?私達はそれほど素晴らしい者なのでしょうか?いいえ、私達は罪人でした。しかし、神の恵みにより私達の罪は完全に聖められたのです。

あるクリスチャンの方がこのような夢を見ました。これまで自分がしてしまった罪が箇条書きで書かれている夢でした。サタンが来てその書かれている罪を指し示し、「これでもあなたは天国にいけると言うのか?」と言いました。このクリスチャンは赤い墨汁を取り出し、その書かれている罪の初めかえ最後までを塗りつぶし、言った。「サタンよ、しりぞけ。イエス・キリストの血潮が私の罪を全て聖めて下さったのである。」

私達が自分の罪を悔い改めるとき、神はその罪をもう覚えていません。その罪は完全に赦されたのです。ここに私達の希望があります。私達はその罪を自分自身で思いお越し、罪悪感に悩まされる必要はありません。イエス・キリストの血潮は罪を赦し、私達を聖めます。故に誰も私達を罪に定める者はいません。私達は赦された者として神の御前に立つことが出来るのです。

何がこのようなキリストの愛から私達を離れさせようとするのでしょうか?患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。しかし、私達を愛して下さった方によって、私達はこれらすべての事において勝ち得て余りがあると聖書は言っています。