10月16日 「神の御旨を行う」 横山牧師

ヘブル人への手紙10章5-7節
"それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。 あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。 その時、わたしは言った、『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました』」。"
 
  この聖句は、イエスが来られる前に預言者によって書かれたみことばです。聖書には神の御旨が書かれていることを私たちは知っています。ではどの様にしたら神の御旨を行うことが出来るのでしょうか?神の御旨を行うには、祈りにより神の霊に満たされていることと、信仰を用いることが必要です。
 
  ルカによる福音書4章において、イエスが悪霊の誘惑にあったことが書かれています。しかし決して誘惑に落ちることなく、ますます神の霊に満たされていきました。同じく8章では12年の間、医者から見放された長血を患っている女性がイエスの衣に触れさえすればきっと自分は癒されると信じ、その衣に触れた瞬間、その女性は自分が癒されたことを感じました。使徒行伝6章4節ではイエスの弟子たちがいつも祈っていたことを見ることが出来ます。そのため、神の霊に満たされていたので、神の御旨を行うことが出来ました。それは人々が通りを歩く弟子ペテロの影に触れさえすれば癒されると信じ、病気の者を通りに出し、その影に触れた病人は全て癒されました。
 
  伝道者のジョン・レイクは、アフリカで宣教をしていました。 1920年に、この地方に疫病が発生しました。しかし、このジョン・レイクは全く病気にかかりませんでした。医者が彼に「何故大丈夫であるのか?」と尋ねたところ、彼は「聖書にある御霊といのちの法則により、私は何の害も受けることはないのです。」と答えた。「試しに死んだ人の口にある細菌を私の手にのせてみて下さい。」医者がその通りにして顕微鏡で見ていると、その細菌は彼の手の上でみな死んでしまった。
 
  人の思いと、御旨は大きく違います。人知をはるかに超えたその御旨を行うために私たちが祈り、神の霊に満たされ、信仰を働かせていくとき、私たちの罪のために十字架で死なれたイエス・キリストの御旨が人々を癒し、喜びを与え、いのちを与えるのです。