イタリア大地震 M6.3

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 イタリアのラクイラで、現地時間未明、マグニチュード6.3の大地震が発生しました。
動画ニュースでは、まだ薄暗い中を照らす照明の先には、倒壊した建物が写っていました。
当初、教会の建物などが倒れ、死者の6名という報道であった。その被害は、現在死者179名、行方不明者34名となっている。

 1995年1月17日に、兵庫県南部地震が発生しました。この時の地震では約6400名の方が亡くなりました。一瞬にして変わり果てた街並み。たった数分の間に景色だけではなく、人々の人生をも変えてしまった地震。ある人は、家の倒壊で息子を失った建築士が、二度と同じ思いをする人が出ないように地震に強い家つくりを提案する仕事を始めたり、ある人は、その日泊まりに来た親戚の方に自分の部屋を譲った為に、家具の下敷きとなり、亡くなったしまった親戚の方。残された本人は心の葛藤と戦いながら、人の役に立つ仕事をしたいと、末期がん患者の心のケアをする仕事を始めました。

 地震によって多くの方々が犠牲になり、負傷し、住む家を失いました。でもその事から、お互いを労わり、助け合い、慰め合い、励ましてきました。普段の生活では、「他人よりも自分が一番大事」と思っているかもしれません。でも被災した人々の気持ちは、心一つとなり、他人であっても自分の家族のように、お互いを助け合っています。

 アメリカのニューヨークで起きた同時多発テロ。この時も多くの人々の心が一つとなり、助け合ったことが報道されています。

 人は、神に創造された被創造物です。聖書でこの様に言っています。
 
”わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。”

 人はその様な窮地に立たされた時、自分よりも相手のことを気遣いう姿を見て、私は神の愛が表れていると感じます。通常、人の愛は、見返りを期待する愛です。これだけのことをしたから、こんな風にしてもらいたい、そうされて当然であるとか。

 でも神の愛はそうではありません。見返りを求めず、与え続ける愛なのです。それこそが本当の愛なのです。その人の事を、自分自身より大切に思っている愛なのです。見返りを求めている愛は、結局はその人より、自分を愛しているだけなのです。

 私は、災害やテロが起きて欲しい。そうすれば、人はもっと相手のことを大切に思うことが出来ると言っているのではありません。もともと神の性質を持って、人は創られています。だから、何か悪いことをした時に、罪悪感があるのだと思います。

 神は、私たちを創造されたのは、良い行いをする為だと言っています。神があらかじめ備えて下さったように、私たちがもっともっと神の性質を表していくことが出来たら、どんなに素晴らしい世界になるだろうと期待せずにはいられません。

 by カレブ