私は道であり、真理であり、命である(その1)

 ”またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。

 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。

 注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。”
                                         (マタイによる福音書24章3-8節)


 近年、各地で地震が起き、昨年秋からの世界的恐慌、インドやコンゴでの迫害や虐殺、イスラエル軍ガザ地区空爆など、聖書で言っている「主の来る日は、本当に近い」と思います。新約聖書のマタイによる福音書24~25章は、主の来る日のことについて書かれています。興味のある方はぜひ読んで見て下さい。


 私たちが救いに入る為の計画が、聖書に書かれています。昨日の礼拝で、牧師からその為のプリントを頂きましたので、ご紹介します。


  ”イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。”
                                         (ヨハネによる福音書14章6節)

 
                      「道」

 ”狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。”
                                         (マタイによる福音書7章13-14節)

 ”人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。”
                                         (箴言14章12節)

 ”人が見て自分で正しいとする道があり、その終りはついに死にいたる道となるものがある。”
                                         (箴言16章25節)

 ” わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。”
                                         (マタイによる福音書7章21-23節)

続く・・・。 by カレブ